首里織
Syuri-ori
首里織とは
「工芸の島」とも言われる沖縄。国の伝統的工芸品に指定されている16品目のうち、実に13品目を染め・織りが占めています。14世紀以降、東南アジアや中国、日本との交易の中で学んだ織りの技術を取り入れ、先人は琉球の気候風土に合うものへと変化させてきました。県内各地にそれぞれ特徴ある織りが受け継がれていますが、中でも王都首里では、王族・貴族、士族用に、色や柄ともに格調高く、麗美な織物が、織り継がれています。
「首里織」という名称は、1983年に国の伝統的工芸品に指定される際、首里に伝わるさまざまな紋織や、絣織物を総称するネーミングとして採用されました。首里で多様な技法が育まれた背景には、外国との交流で技術がいち早く入ってくる地域であったこと、かつて島々から税として納められた布が集まったこと、首里の女性たちは王妃・王族にいたるまで織りをたしなみ、それらの技法を洗練された感覚と自由な発想で進化させてきたことなどがありました。特に王族のみが着た花倉織、王族・貴族が着た道屯織は、首里のみで織られた、特殊な技法でした。
現在、首里織の原材料には絹、綿、麻などが使われ、染料は琉球藍やフクギ、テカチ、イタジイなどの植物染料のほか、布の用途によっては化学染料も用いられています。また、帯や着尺といった和装用の反物のほか、小物やインテリアなど織り手自身の自由な発想で商品開発が進められています。



首里織の技法
・首里花倉織 | 王族が着た夏衣。花織と絽織、紗織を市松、菱形模様または、前後、左右交互に織る。 |
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・首里花織 | 両面浮花織、緯浮花織、手花織、経浮花織の紋織4種を花織とよぶ。士族以上が着ていた。 |
・首里道屯織 | 平織地の中に部分的に糸の密度を高くして織る。両面使用可能で男物官衣として使われた。 |
・首里絣 | 首里独特の「手結」の技法を使い、絣の原型とも言われる。手縞、綾の中、諸取切などの柄がある。 |
・首里ミンサー | 緯糸を引き揃えて太く織る畝織と両面浮花織を組み合わせ、幅の狭い綿の帯を織る。 |
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Bingata
びんがたとは



琉球で生まれた唯一の染め物で、すべての工程を手しごとで行うという伝統を大切にしています。南国らしい色彩感覚や、大胆にして緻密な意匠が特徴で、琉球王国時代に日本や中国、アジア各国との交流の中でもたらされた技法を磨き、デザインも影響を受けてきたと考えられています。
琉球王国時代の記録によると、びんがたは型染めを意味する「形附」「型付」などと書かれ、カタチキと呼ばれていたようです。中でも、多色使いを「紅型」「びんがた」、藍の濃淡で染めるものを「藍型(イェーガタ)」と呼び分けていました。また、型を使わず、防染糊を入れた糊袋を絞りだしながらフリーハンドで柄を描き、そのあとで色を差す「筒描き」「筒引き」という技法もあります。筒引きでは主に風呂敷や舞台幕などが、今も作られています。
今日、私たちが目にする踊り衣装のびんがたは、もともとは王族・貴族が着ていたものでした。大きな柄のびんがたは大変な手間と高い技術を要し、当時から高級品。一方で、絵画には、商人などの町百姓が小さい柄のびんがたを晴れ着として着ている様子が描かれています。それでも一般の庶民から見れば、びんがたは高嶺の花だったと言えるでしょう。
琉球王国の解体、沖縄戦という二度の大きな危機を経て、先人の努力で現代へと受け継がれた琉球びんがた。亜熱帯の日ざしの中で生まれた美しい染めは、沖縄県の無形文化財や国の伝統的工芸品に指定され、琉球文化を象徴する存在として伝統的な琉装の世界を守る一方で、和装向けの色づかいやデザインの反物も生産されています。また、日常使いの小物やインテリア、アート作品など若手が活躍するフィールドも広がってきています。
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